沿革

昭和13年8月

平野弘、現在地に医療衛生用品製作販売のため、平野製作所を創設する。

昭和19年6月

初代戦時招集後、戦死のため臨時休業する。

昭和21年6月

初代弟、平野喜八郎(前会長)が外地より復員して事業継承し、同年9月営業再開する。

昭和26年5月

医療ゴム製品及農業用手袋を製造販売のため、姉妹会社「多喜ゴム工業所」を創設する。多喜ゴム工業所では、ラテックスゴムによる家庭手袋の生産を我が国で初めて開始する。

++先代.jpgゴム手袋 製作工程+.jpg

昭和30年7月

資本金1,000,000円にて法人組織として商号を「平野医療品工業株式会社」に変更する。

昭和34年2月

ゴム・ビニール雑貨部門に取り扱い商品を拡大し、ビニール絣雨衣を我が国で初めて生産販売を開始し、好評を得た。

昭和37年5月

海浜レジャー用品の取り扱い販売を開始する。

昭和39年8月

雨衣・海浜用品の取り扱いの比重が多くなるのに伴い、「ヒラノ産業株式会社」と商号を改称し医療品の取り扱いを中止する。

昭和40年7月

多喜ゴム化学(株)を結城市工場誘致により茨城県結城市に移転する。

昭和48年5月

店舗狭小と老朽の為、東京都文京区に「小石川ビル」(地下1階地上6階) を建設する。

小石川ビル竣工+.jpg

昭和51年3月

スーパー関係と取引開始する一方、海外からの輸入販売を開始する。(中国に生産の拠点を移す)

昭和57年8月

ホームセンターとの取引を開始する。

平成2年3月

作業帽子全般の取り扱いを開始する。

平成8年5月

多喜ゴム化学(株)をヒラノ産業(株)の結城配送センターとして、全ての商品管理、出入荷業務を行う。

平成13年1月 

ニ代目・平野喜八郎が会長に就任し、佐藤哲郎が三代目代表取締社長に就任する。

            4月

ネクストスーツ発売。当時では珍しいブラックを含めた3色展開と、細部まで工夫された機能性が反響を呼び、月2万枚を生産する。

平成14年4月

ネクストスーツに続き、パブリックスーツを発売。当時見られなかったオレンジ色の雨衣が反響を呼び、月1万枚を生産する。

平成16年5月

防寒対策商品の生産、販売を開始し、2つの商品に対して、実用新案登録を行う。

平成21年2月

ヒラノ産業(株)ホームページリニューアルに伴い、オンラインショップの運営、直接販売(オンラインショップのみ・電話注文不可)を開始する。

平成22年9月

資本金を11,000,000円に増資する。

平成26年4月

雨衣関連商品の開発機能を集約するため、ヒラノ産業株式会社本社を埼玉県朝霞市に移転する。

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